2018年1月3日

エジプト旅行記3日目 アブシンベル神殿でオシリス神に謝罪 その2

 
 
 
なぜならば・・・。
 
 
 
私を過酷たらしめているのは私自身に他ならないのに「あいつのせいだ」「この環境のせいだ」「この生まれのせいだ」とすべてを外側のせいにする。
 
 
 
すると、うらぶれたり、恨んだり、羨んだりする。
 
 
 
他の生を生きながら、私たちはいつでも繰り返しこの鋳型を今世に表す。
 
 
 
つまり、いつでも私たちは外側に理由を求めて、誰かのせいにしたり国のせいにしたり行政のせいにしたりして、それがもっと悪いことに、そこからの恩恵を受け損ねる世界を作る。
 
 
 
すなわち、堂々巡り。
 
 
 
もうこの堂々巡りを終わらせるしかないとき、自分の中にしか原因がないと知るのみ。
 
 
 
そんなことで、私はヌビア人だったときの何回かの過去世において、奴隷まがいの体験をして自分をより愛せなくなった。
 
 
 
汚い自分はいらない。 
 
 
 
神性の欠片もない自分は、神の奴隷にすらなれない。
 
 
 
なぜなら神に申し訳なさすぎる。
 
 
 
しかし神を愛する心は残る。
 
 
 
すると、私は神の奴隷にならざるを得ない、今世においては。
 
 
 
なんでかっていうと、やっぱり神が好きだから。
 
 
 
裏切れないし、でも正しく仕えられない。
 
 
 
自分が嫌いなのに、大好きな人のそばにいて仕えることなんてできない。
 
 
 
そんな複雑な潜在意識によって、私はこれまでも中途半端に神ごとに関わってきた。
 
 
 
でももう終わりにすべき。
 
 
 
もうそんな、はるか昔の自分の他の生に引っ張られる必要もないと、私はここに連れてこられた。
 
 
 
その上で言うならば。
 
 
 
時代をはるかにさかのぼって、私はこの地(エジプト全土に及ぶ)で神官や巫女や神ごとを司る人だったこともある。
 
 
 
すると、さらに複雑性に及ぶのは、私は親しき神と親しみを持って近づきたいが近づけない。
 
 
 
それだけはできないと思う。
 
 
 
だけど、近づかないわけにいかない。
 
 
 
すると私はまたうらぶれるしかない。
 
 
 
なんでかっていうと、中途半端で宙ぶらりんな私が嫌いだから。
 
 
 
でも、近づけもしないし遠ざかることもできない。
 
 
 
これが今の私。
 
 
 
いや、今までの私。
 
 
 
でも、もうこのモデルもいらない。
 
 
 
 
さらには・・・(こっから上情報)。
 
 
 
たくさんの私みたいな状態になっている人が、日本には多いと言うこともお伝えしておこう。
 
 
 
なぜなら、私たちはグループソウルとして同じ時期に同じ場所で生きて似たような経験をしている。
 
 
 
すると、私にシンパシーを感じてくださるクライアントさんや読者さんたちは、皆私と似たような体験をしている。
 
 
 
それだけじゃなく、その場所に共にいたことのある人も大勢いる。
 
 
 
チャネスク生しかり、セッションやセミナーのお客様しかり。
 
 
 
だから、ここで私がこの情報をシェアするだけで、一部外れるブロックは必ずある。
 
 
 
だから、それも私が情報を降ろされている一つの理由でもある。
 
 
by 高次存在
 
 
 
 
そんなことで、アブシンベル神殿では神に二度も三度も四度もビックリマーク謝らされた。
 
 
 
なんでかって言うと、この地にヌビア人としていたとき、アブシンベル神殿に祀られているオシリス神に無礼なことをしたんだと。
 
 
 
き、記憶にないがガーンあせる
 
 
 
こんな風に。
 
 
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(イメージ映像・うそ笑笑)
 
 
 
実際にはこんな様子ではなかった(笑)。
 
 
 
どんな様子だったかというと・・・。
 
 
 

続きます

 

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