2019年3月11日

イスラエルの旅3日目、その5。カナンの地になぜモーセは入れなかったのか

ヨルダン川の洗礼場所を出た私たちは、パレスチナ自治区内にある最古の街ジェリコへ。

 

 

ジェリコの街中にあるテル・アッスルターン遺跡は、1万年前からのもの。
古代の町は何千年と経つうちに、上にどんどん土砂が積み重なり、数千年前の遺跡はだいぶ土の下の方に。

 

 

このテル・アッスルターン遺跡はすべてがまだ掘り出されてはいません、この石の塔の根元の方は、7000年前のものだそう。
約1万2000年前にはすでに城壁が街を取り囲み、多くの人がその中で暮らしていたとのこと。
この写真だと分かりづらいですが、地層の途中にグレーになっている層があり、それが約3000年前、ここで戦いがあり、街が焼き尽くされた歴史のエビデンスととらえられています。
なぜかというと、その戦いこそ、有名なジェリコの戦い。
大勢の勇敢な戦士たちが死に絶えたこの戦いこそ、モーセの後継者、ヨシュアがこの地に入ったその時のものだというのです。
そう、ここ、テル・アッスルターン遺跡のあるこの場所こそ、モーセが目指した「カナンの地」
カナンの地とは、聖書では「乳と蜜の流れる場所」と記され、神がアブラハムとその子孫に与えると約束をした土地。
モーセがイスラエルの民を率いて目指した有名な場所です。
さて、歴史的考証や『出エジプト記』に書かれている内容を完全に無視した、高次元のガイド存在からの情報を元に、私が考えたさまざまな内容をここに記します。
まず、なぜ、モーセはイスラエルの民を連れてエジプトを出なくてはならなかったのか。
『出エジプト記』によれば、イスラエルの民の始祖であるアブラハムの子孫であるモーセは、神に「イスラエルの民たちを救い出せ」と命じられる。
なぜなら、エジプトのファラオがだんだんと増えていくイスラエルの民に危機感を覚え、イスラエルの子供は根絶やしにしろと命じたから。
また、たくさんのイスラエル人を奴隷としても扱っていたからだという。
 だけど、私の高次元の存在はこう言う。
それこそ、暗闇の神の仕業だと。
暗闇の神とは、簡単に言えばダークサイドのことだけど、ただ単純にダークサイドといっても、いくつかの方向性の違いがあって、ここで「暗闇の神」というのは、人々を暗闇に貶めたいというよりは、「暗闇に惑わせながら牛耳りたい」という意向が強い。
すなわち、人を牛耳ってコントロールして利益を貪りたい存在、と単純に思ってください。
つまりは、敬虔な神の子であったモーセは、暗闇系の意識存在に完全に騙されてしまったというわけ。
なぜなら、このモーセに命じた神は、イスラエルの民たちの出国を認めないエジプトのファラオに10の禍(わざわい)を与えたという。
たとえば、ナイル川の水を血に変え、たくさんの害虫に襲わせ、疫病で家畜を死に絶えさせるなどなど。
それでも従わないファラオに、ついにエジプト人の長子を死に至らしめさせる・・・という暴挙にまで及ぶ。
ついに諦めたファラオはイスラエルの民たちがエジプトを出ることを許しますが、途中で心変わりをしたファラオは軍勢をあげてモーセとイスラエルの民たちを追いかける。
そして、モーセは葦の海の岸辺でエジプト軍に追いつかれますが、神のサポートにより海を割って向こう岸に渡り難を逃れる。
エジプト軍たちは、モーセ一行が渡りきった後に続こうとして海に飲まれて全滅する。
しかし、ここまでしてイスラエルの民たちを救いたかった神は、そののち、モーセを約束の地カナンに入れなかった。
モーセや神のことを信じなかったイスラエルの民たちが大勢いたため、その者たちが死に絶えるまで約40年間もシナイ半島をさ迷わせた。
そして、モーセも一度神に背いたことがあるからといって、カナンの地に入れなかった。
カナンの地であるジェリコに至れたのは、モーセの後継者であるヨシュア。
ヨシュアに率いられたイスラエルの民たちは、総力を挙げてジェリコを攻め、カナン人を追い出してそこをイスラエルの民の土地としたのです。
さて、またここで高次元の存在たちがらサポートを得て、私が完全なる時代考証や文献に書かれていることと異なることを言います。
なぜ、モーセはカナンの地に入れてもらえなかったのか。
実際には、もともとモーセを動かした暗闇の神たちは、モーセやイスラエルの民たちをカナンの地になんて連れて行く気はなかった。
ただ、荒野をさ迷わせたかっただけ、ただ仲間割れをさせたかっただけ、ただ、イスラエルの民たちを苦しませたかっただけなのではないか。
でなければ、なぜ、イスラエルの民たちは、40年も荒野をさ迷わせられながら苦しめられなくてはならなかったのか。
私は思います。
エジプトにいた方が楽だったのではないか。
奴隷だったとしても、どこ行くあてもなく荒野をさまよい続ける40年間の方が、よほど苦しかったのではないか。
結局、神ってなんだという話にならざるを得ず、モーセが神から承った「十戒」だって、人々を牛耳るためのもの。
なぜなら、「神は私たちだけである」と言い、「それを否む者は三代、四代にも渡って罪を問うが、愛し、戒めを守る者たちには数千代にも及ぶ慈しみを与える」と真っ先に言っているから。
暗闇の神やダークサイドたちはいつでもとても狡猾で、10あるうちの8〜9は正しいことを言い、たった一つや二つ、偽りを混ぜて人々を牛耳る。
だからこそ、この後に続く「父母を敬え」「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではならない」といった、まともそうな戒律に私たちはいつでも騙される。
なぜ、約束の土地にモーセは入れなかったのか。
もともと、偽りの契約の元に動かされていたからに他ならない。
そして、私たちがなぜ、最初に高次元の存在たちからこのイスラエルの旅のルートを指定されたときに「エジプトのアレキサンドリアからシナイ山を通り、イスラエルへ」と言われたのか。
今、やっとわかった。
私は常に不勉強なので、今このブログに記した『出エジプト記』や『十戒』の内容について、何も知らなかったので調べ調べ書きました。
そして、アレキサンドリアからシナイ山、そこからカナンの地へというルートは、また「死海文書」が見つかったクムランへ至るまでの道は、私たちがいかに無意識的に暗闇の神たちの配下に置かれやすく、そしてその状態をなんとか打破するために組み敷かれたこと。
特に、暗闇の神たちに犯されやすい私のような仕事を行う人たちを連れて行くことで、ついにダークサイドからの取り仕切りに合わないパターンを作るためにあったと。
今、知りました。
長くなったので、次の記事に続きます。

 

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